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てんてんです。

尺八のてんは展開の「展」。
尺八の音とともに、曲がどんどん展開していく様は得も知れぬ幸福感に満ちています。

わたしが愛してやまないこの楽器は、竹笛のタテ版であることはご存知のとおりです。
 
が、横笛と同じく、素朴であるがゆえ演奏困難きわまりないやっかいな代物です。
難解だからこそ、本当にこころから心酔できる楽器だとも思います。

禅との深い結びつきから“最も日本的な音”とも言われたりもしますが、歴史的、精神的な部分はさておき、将来においても新たな展開をみせてくれるであろうこの竹の筒。
近い将来、どんどん世界中の人に愛されていくのでしょう。
 
 
ところで、わたしが日本でお世話になりました尺八の先生方、どなたもお唄が上手です。
てんてんメンバーとして尺八を吹いてくれている草野氏(スコットくん)もしかり。

もちろん理由は簡単。

尺八は歌うように吹くものなのです。

歌うといっても音程の良し悪しや、音感の問題ではありません。
感情の噴出。
それは言葉で表すよりももっと簡潔で、ダイレクトに胸に響きます。

もうひとつ。
尺八を吹かれる方は、必ずといっていいほど自分で尺八を作ります。
そして、自然をこよなく愛しておられます。

言ってみれば、竹の林が近所にあれば材料費はそれほどかかりません。
穴はドリルで開ければ簡単です。

ですが、尺八づくりは精巧緻密で、なんといっても計算と力量がものをいいます。
まさに職人芸なのです。
そこまで突き詰めてまでも自分でつくりだしたいという真剣一途な気持ち、そして自然への敬意があってこそ、尺八奏者としての道が開かれるということでしょうか。

スコットも自分で作ったマイ尺八を愛用しています。
自分で作ったからこそ、癖も難も全部知り尽くしいるから体の一部のように自然に音が産み出せるのでしょう。


日本で唄う際、尺八の先生方が来られて伴奏してくれる時がしばしばありました。いつもは三味線をバックにジャンジャカにぎやかにやっていても、このときだけは空気が張り詰めます。

「たけもの」といって竹一本(尺八)と、のどひとつ(唄)でやるわけです。

民謡の尺八奏者は誰と合わせるときも上手に伴奏にまわってくれます。
唄い手が少々おどおどしていも、尺八のメロディーがしっかりサポートしてくれ、音を運んでくれます。

「たけもの」には、しみじみとした叙情のこもった曲が多くあります。

微妙な息づかい、音程も旋律もモロにでます。
若さや元気だけでは押し通せません。
音の長さや節回しも、唄い手にかかっています。
相当に唄いこまなければ人前で、ましてや尺八の名手と並んで演じられるものではありません。

だからこそ緊張するわけです。
力みすぎたりして、音をはずしたりしてしまうのです。

美しい尺八の前奏を聴いているうちに、つい詩を忘れたりするわけです。
 
 
尺八は、てんてんの音楽になくてはならない大切な、大切な音です。


次はわたし自信の奏でる「点々」へとまいります。
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てんてんです。

縦置きになっていますが横笛です。

「填す」(あ・す)と書いて、いっぱいにするとか満たすとかの意味になるそうです。
聞きなれない言葉です。
もって、「填す」。

言ってみても素敵な語でしょう。
この音読みがテン。
充填・装填と聞けばなんとなくイメージも湧きます。ありがたき漢字変換機能。いろんなところで勉強になるというわけです。


そうです、横笛のてんはまさに「填」。
ぽっかり空いたところを満たし、吹き抜ける竹の音が心地よいのです。

竹一節のシンプルな作りなだけにとても音を出すのが難しい楽器です。ちょっと滑稽で、なつかしい竹笛の囃子は、太鼓、三味線といったごく単純で土臭い楽器と自然にうまく打ち解けます。

風の如く天に響きわたる笛の音は、てんてんの曲に新しい息を吹き込み、全体を優しい風で包んでくれます。
 
 
写真の笛はてんてん自慢の六本調子笛で、銘は「竹光」といいます。

このカナダの乾燥した気候にも耐え、わたしの重くてぱんぱんのカバンの中でもみくちゃにされながらも強く生き抜いております。

この竹光との出会いは十年以上も前、東京にある老舗の笛屋さんでのことであります。

まだろくに音も出せないわたしが目移りしながら選んでおりますと、お店の方がどれでも好きなのを吹いて試していいですよと言ってくれました。ふいに目に付いた一本を手にして息を吹き込んでみたところ、見事にきれいな三の音(低いオクターブです、もちろん)を店内に響かせてくれました。
結果、その笛に感謝の意をこめて、カナダへお付き合いしてくれるように申し込んだわけなのです。
 
で、わたしの笛技術はというと、音が出るといった程度のものでとても演奏など出来ません。
思うように笛が歌ってくれればどんなにいいだろう、と日ごろから努力はしているのですが。

なかなか思うようにはいきません。

なんでも片手間でやってはいけないのです。
これからもこつこつとやっていくほかありません。
竹光に嫌われないよう、時々は手にとってやり息を吹きかけてやるつもりでおります。

それではこのまま「展々」と展開していきます。
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てんてんです。

これです。
これが天に届く「テン」です。
太鼓の音としての「テン」は三味線の「テン」に比べてもっと馴染み深いかもしれません。

「テンテケテン」と聞けば、日本人ならまず太鼓が思い浮かぶはずです。

これは日本人の感性であり、わたしの愛する日本語の大きな特徴です。

テンだけでなく、いろいろな音と風景が目に浮かんできます。

ドンといえば、大きな祭りの太鼓の音。
トンはドアをたたく音。
ポンは狸の腹太鼓。
カンと響くかなづちの硬い音。
ゴンと頭を打ちつけた音。

日本語にはこういった擬音の楽しさがあります。
言葉で音の質や重さ、状況や気分まで確かに感じ取れます。


てんてんの太鼓はドンでなくテンです。
とどろかせず、にごらせず、天に響く「テン」の音であってほしいと思うのであります。

囃子太鼓とはいえ、鍛錬が必要です。間や腕の上げ下ろし、座り方、撥づかい、息遣いも目線もすべてマスターしなければなりません。
打楽器演奏の技術や訓練よりも、太鼓に向かう姿勢、集中力、そして美しく凛々しい型が、テンテンと鳴らすための大切な要素です。


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太鼓の達人;
「永田社中」率いるリーダー、永田キヨシの太鼓には祈りがあります。

彼自身が自然体として太鼓に共鳴するからだと思うのであります。

彼の握り締めたバチに、炸裂する低音に、振り上げられた腕に、表情に、筋肉の収縮に、にじむ汗の玉に、すべてに痛いほどの気持ちの高ぶりをみるのです。

世間では、いろんな人がアーティストを目指します。

才能ある人。器用な人。すごくがんばり屋の人。運のある人。人材に恵まれた人。売り込み上手な人。ただ何かやりたい人。元気な人。ヒマな人。

永田氏ほど一途な人は稀です。
ただ真剣というそれだけで、人を圧倒させ、納得させることができるのだと彼を見てそう感じるのです。

それはまるで子供が砂遊びに夢中になる姿、もしくは馬が奔走する姿に似ています。

目的や計算のない、ただひたすらな行為。

それを本能と呼ぶなら、永田氏は本能で太鼓を叩くのでしょう。

http://nagatashachu.com/


引き続き、永田氏の奏でる「填々」へと参ります。
 
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てんてんです。

「テンテケテンテン・・・」という口三味線の「テン」はてんてんの大切な音の素材です。

そうです、疑いなくわたしは三味線という楽器が好きなのです。
現在は計6本の三味線を抱えて大事に育てております。

まず初めて手にしました一代目、はるばる秋田から渡ってきました中古の練習用太棹(銘を「おばこ」と可愛がっております)。練習用といってもりっぱなものです。ただ棹の部分が紅木でなく花梨であるとい以外は。弾きすぎて、爪が木に食い込み、見事に溝となって削られていきました。そのころは、三の糸を押さえるたびにビヨーオンと中国琵琶のような音がしたものです。
もう何度か皮を張り替えているものの、その度に感度が増していくようです。さすが、秋田おばこ。
手をかけるほどに味が出る、というわけです。

その後、友人からいただきました美しい細棹(命名「月の宿」)は糸巻き箇所に少々難有りですが、響きは良いのが特徴です。小唄や端唄がとてもよく合います。

その五年後、やっと念願かないまして特別につくっていただいた力強い津軽三味線「福の神」。
製作者は三重県にお住まいの福三味さん。感謝しております。ヘッドは紅木、見事にすべすべと黒光しております。音は絶妙です。

てんてんパートナーである永田氏の亡きお祖母様が愛用されていた2本の細棹(永田一号と二号)はカナダに渡ってから手にしたものであります。
昭和のはじめ、家族でカナダに渡ってきた戦前の日系一世の意地と誇りが感じられます。お祖母様はこのカナダの地で三味線を弾き語り、日本舞踊もなされていたそうです。永田氏の計らいによって、皮が破れたまま長年放置されていた2本の長唄三味線が復元いたしました。今またこの地で、大勢のカナダの皆さんに音色を聞いてもっています。今後も大切に使わせていただきます。

そして数年前、皮が片方破れたまま知人からいただきました地唄用中棹「諏訪桜」。諏訪湖の付近で作られたこの三味線、どんな経緯を経たのかこの異国に渡り今わたしの手元にあります。いろんな人々に愛され、奏でられ、そして捨てられたであろうと思うと、なんとなく自分自身のように思えてくるのであります。

どれにも限りない愛情を注いで慈しんでおります。

 次にご紹介しますのは、わたしのライフワークとしての「天々」。
しっかり音を聴いていってくださいませ。
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てんてんです。

・・・・・

ここに生まれる緊張と静寂。

これは、てんてんがもっとも大切にしている間(ま)、何も無い、何も奏でない音です。
 
この日本特有の感性はてんてんの音作りに大きな影響を与えています。
ごくごくシンプルにしています。
生の音だけで得られる確実に不確かなる音。
乾いた日の音。湿った空気にくもる音。
ゆれる音。
雑音。

自然体のまま感じる音色や調子に合わせてつくりだす旋律は、自由に動き回り変化しながらまとまって体になじんできます。

譜面にできるものだけが音楽ではありません。
体でじかに感じる音、それがてんてんの求めるサウンドです。

飾る・重ねる・凝るという作業よりも、削る・止める・減らすとことはその何百倍も難しいことです。

技巧や精密な作業にたよると自分の居場所が見えません。
重ねられ、肥大して、装飾された音には表情が見えません。
しっかり組み立てて譜に落としたりすると周りの風景や状況が見えません。

できるだけ素朴にシンプルにしたいのです。
だからこそ、わたし自身もできるだけありのままでありたい、と思い続けるのであります。

どれほど背伸びして胸をはってみたところで、自分は自分。他人は他人。
りんごは丸く、木は上へ伸びるのです。

それにしても音づくりはほんとうに楽しいものです。


この「音楽」(おとたのし、とよんでください)では、音職人としてのさまざまなてんてんをご紹介していきたいと思っております。

次回は、カタカナでのテンテン。
どんな音の物語が生まれますでしょうか。
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まずまずてんてん
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HN:
てんてん-TEN TEN
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
日本生まれ
カナダ大陸東南あたりに生息
比較的温暖な緑地を好む
雑食型(主に草食、ときどき肉)
群れない
種子を残さない
でもそれなりに依存型

「三味や太鼓で大騒ぎ」が得意
ひにひにてんてん
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