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針と糸です。
この神聖な道具を敬意を持ってご紹介したいと思います。
裁縫はまさに実用のアート。生活の知恵。誇るべき技術。
これによって人々の暮らしがより豊かに便利になります。
無駄な出費をなくしているにもかかわらず贅沢な気持ちにさせてくれます。
裁縫が出来ずして服飾やファッションを語るべきにあらず。
最高級のブランド衣料を作るデザイナーよりも、家族のためにより長くより着易いようにと針と糸を工夫する世のお母さんたちをもっと尊ぶべきなのです。
なにが流行っているかではなく、なにが自分に似合ってどのように縫製されているか、なのです。
針を大事に扱う人はものをいつまでも大切にする人。
人の気持ちや歴史を重んじる人。
ただそいうことなんです。
この神聖な道具を敬意を持ってご紹介したいと思います。
裁縫はまさに実用のアート。生活の知恵。誇るべき技術。
これによって人々の暮らしがより豊かに便利になります。
無駄な出費をなくしているにもかかわらず贅沢な気持ちにさせてくれます。
裁縫が出来ずして服飾やファッションを語るべきにあらず。
最高級のブランド衣料を作るデザイナーよりも、家族のためにより長くより着易いようにと針と糸を工夫する世のお母さんたちをもっと尊ぶべきなのです。
なにが流行っているかではなく、なにが自分に似合ってどのように縫製されているか、なのです。
針を大事に扱う人はものをいつまでも大切にする人。
人の気持ちや歴史を重んじる人。
ただそいうことなんです。
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てんてんです。
愛用のはさみです。
といっても普通のはさみではありません。
毛髪用です。
紙ではなく髪の、はさみ。
亡くなった母から受け継いだこの鋏を使って自分の髪を切ります。
散髪は自分の特技ですから。ショートでもボブでもお構いなく。
めったなことでは床屋には行きません。自分のくせは自分が一番よく知っており、どの長さでどうやったら扱い易いか、もうながーい人生付き合っているのだから百も承知です。
でも、他人様の頭には手出ししません。なんといっても素人ですから。
わたしが興味あるのはあくまで散髪です。
スタイリング(パーマ、カラーリング、ヘアケアなど)は一切できません。
わざわざ言って自慢するほどのことでもないですが。
この際、美しくなりたいかどうかは問題外。
もともとヘアサロンで、一段と美しくみせてもらえるほどの容姿は取り揃えておりませんので。
とにかく耐えられないんです、じっと散髪台にのっかって待っているのが。
そのあとに単調に続く世間話も。
読みたくもない女性雑誌を押し付けられるのも。
ああ、あの苦痛に出費するくらいなら、自分で断髪したほうがまし、というそれだけのことです。
出かける前のちょっきんなー。
すぱすぱっと調子よくいきますよー。
といっても普通のはさみではありません。
毛髪用です。
紙ではなく髪の、はさみ。
亡くなった母から受け継いだこの鋏を使って自分の髪を切ります。
散髪は自分の特技ですから。ショートでもボブでもお構いなく。
めったなことでは床屋には行きません。自分のくせは自分が一番よく知っており、どの長さでどうやったら扱い易いか、もうながーい人生付き合っているのだから百も承知です。
でも、他人様の頭には手出ししません。なんといっても素人ですから。
わたしが興味あるのはあくまで散髪です。
スタイリング(パーマ、カラーリング、ヘアケアなど)は一切できません。
わざわざ言って自慢するほどのことでもないですが。
この際、美しくなりたいかどうかは問題外。
もともとヘアサロンで、一段と美しくみせてもらえるほどの容姿は取り揃えておりませんので。
とにかく耐えられないんです、じっと散髪台にのっかって待っているのが。
そのあとに単調に続く世間話も。
読みたくもない女性雑誌を押し付けられるのも。
ああ、あの苦痛に出費するくらいなら、自分で断髪したほうがまし、というそれだけのことです。
出かける前のちょっきんなー。
すぱすぱっと調子よくいきますよー。
てんてんです。
言わせてもらいます。
手が自慢です。
ずっと昔昔、うちはコーヒー卸の喫茶店だったことがあります。
父が麻袋コーピーの豆を買いにいきます。
それを少しずつ丁寧に挽きます。
母が挽き立ての珈琲豆を木綿の袋に入れます。
じっくり煮出します。
これが毎日の仕事です。わたしは幼かったのでそれをじっと見ていました。
ちなみに母の実家は八百屋。
八百屋といってもスーパーのように、商品を並べて売るだけではありません。
魚を釣ります。それを水槽で飼って、そして捌きます。
肉の塊が運ばれて来ます。それを特大冷凍庫に入れて、そして切りそろえます。
神棚用のサカキ(植物です)を採りにでかけます。それを適当な大きさに切り揃えて、束にします。
豆腐も切ります。
果物を選別します。
豆を量ります。
それでもまだまだたくさん仕事が残っています。
父の本家は醤油屋。
製造です。
大きい蔵があります。
そこにはでっかい樽があり、大豆がぐつぐつ煮えています。
一年中、豆が発酵するにおいがしています。
常にたくさんの人が入れ替わり立ち代わり作業を手伝いにきます。
仕事は毎日、山のようにあります。
幼いわたしはお菓子を与えられて、無口で働き者の大人たちの手をずっと一日中見上げていました。
そんな働き者遺伝子をひきついだ自分の手を一番誇りに思うのです。
使い込んで、ぼろぼろになって、それでもまだ動き続ける手があるうちは、きっと何でもできると思うのです。
思い出せないことも、忘れたことも、手だけが覚えているはずです。
てんてんです。
茶話第二弾。
お茶が好きです。
毎日必ずいただいています。
お茶といえば、緑茶。
玉露とはいいません。まあ、三歩さがって玄米茶やほうじ茶になることがあっても、お茶はお茶。お茶の葉を購入する際には煎茶といったり、静岡茶や宇治茶だったりもします。
とにかく、お茶といえば誰しもがきれいな若緑色のお茶を思い浮かべるはずです。
香りも味もなんとも言えず・・・とにかく美味です。
そして今現在、先進国北米におけるお茶事情についてひと言申しあげさせて下さい。
グリーンティー(ほぼ必ずティーバック)買うと蜂蜜もしくはレモン風味なのはどういう了見なのでしょう。
それを今、わたしは声を大にして、いやそれすらできない状況においては、フォントのサイズを特大にして言いたいのであります。
アイスだったり缶入りグリーンティーにおいてはほぼ100%甘いという事実は、お茶好きにはたまらなく苦痛、そして遺憾なのであります。
カナダ国創立以来150年の歴史のなかで、緑茶を紹介する前にすでに加工品を売るとは、いい度胸です。完全な勘違いといっていいでしょう。
日本食品として堂々と販売している「てりやきチキン」(あまいソースの鳥肉)くらい違います。
それならば・・・
中国系のお茶専門店ではたくさん緑茶があります。「緑」の漢字の隣に「日本」なんて文字もあったりして、よしこれなら間違い無しと買って飲んでもやっぱり「あれれれれ???」です。中国三千年の歴史でみても、日本緑茶研究はそれほど発展しなかったと言えるでしょう。
緑だから緑茶で売っとけ、ってなもんでしょうか。
最初の一杯から出がらしの味がします。
お茶葉抽出後およそ3分ほどで緑は焦げ茶色になっています。
とはいえ、中国三千年かけて、インドから渡ってきたお茶に対する意気込みとこだわりは、それはもう、頭が下がるばかりです。烏龍茶、白茶、プーアル茶・・・どれも格別です(特にわたしは台湾の烏龍茶が大好きなのですが)。
鉄観音茶に関しては、そりゃもう一冊の本が書ける位です(わたしは書けませんが)。
中国緑茶は日本のものとは製法が違うらしく、味や香りが違うのは当たり前。
でそれならば・・・
日本食レストランなら美味しい緑茶を淹れてもらえるに違いありません。ではいざ、出発。
出てきたのは、抹茶粉末入りの玄米茶。ほぼこれが主流です。
確かに色はきれいです。抹茶の苦さと香ばしさもあります。
でも、なんかなあ、ごまかされてるような・・・
あの新鮮な香りは?上品な甘みは?淹れたての透明感は?
とにかくグリーンだから緑茶で出しとけーってなことなのでしょうか。なんとも味気ない。
結局それならば・・・
長い歴史をかけてこんなおいしい緑茶を発明した日本人に感謝しましょう。
そしてあっちこっちに手を尽くし、なんとか手に入れた日本のおいしい緑茶をお家でじっくり味わえるという贅沢に、日々感謝です。
ありがとう、お茶。
これからもお世話になります、お茶。
てんてんです。
茶のお話。
小学二年生でお茶デビュー。姉といっしょにお茶教室へ通うこと五年。
茶の味も、茶道のわびさびも、茶器の美しさも、そして大人の茶番(とにかく決め事がうるさい)も、若輩のわたしには何ひとつ理解できませんでした。
むしろ苦痛なほど。
お教室で学ぶことは、とにかくしゃべらないこととじっとしていること。
待っていれば足のしびれが次第にとれるということも、その時期まなびました。
お楽しみは、お茶菓子がキレイでお美味しいこと。
小学生時代のお茶教室以来、お抹茶を立てる機会はなくなりました。
そのとき使っていたお茶椀もお茶筅(泡だて器)も、今でも大切にしています。
しゃかしゃかしゃかっといって抹茶があわ立つ時ってわくわくするものです。
お茶の道具はぴかぴか、きらきらしてなくても、なんだか美しいのです。
毎年お正月にきれいなお着物を着て初釜を迎えるのも、なんとも情緒です。
お茶というカルチャーは、作法をとっくに通り越えて、わたしにきっちりしっかりなじんでいます。
道なき茶話、でした。
茶の味も、茶道のわびさびも、茶器の美しさも、そして大人の茶番(とにかく決め事がうるさい)も、若輩のわたしには何ひとつ理解できませんでした。
むしろ苦痛なほど。
お教室で学ぶことは、とにかくしゃべらないこととじっとしていること。
待っていれば足のしびれが次第にとれるということも、その時期まなびました。
お楽しみは、お茶菓子がキレイでお美味しいこと。
小学生時代のお茶教室以来、お抹茶を立てる機会はなくなりました。
そのとき使っていたお茶椀もお茶筅(泡だて器)も、今でも大切にしています。
しゃかしゃかしゃかっといって抹茶があわ立つ時ってわくわくするものです。
お茶の道具はぴかぴか、きらきらしてなくても、なんだか美しいのです。
毎年お正月にきれいなお着物を着て初釜を迎えるのも、なんとも情緒です。
お茶というカルチャーは、作法をとっくに通り越えて、わたしにきっちりしっかりなじんでいます。
道なき茶話、でした。
てんてんです。
お扇子。
お茶を習っていると必ず小型扇子をひとつ持たされます。
手前に置くという以外、使い道はありません。ただ携帯するのみ。
ではなぜ持っていなければならないのでしょうか。ほかにもそういった品、探してみることにします。
結婚指輪。
会社員のネクタイ。
運動会のかけっこ用ピストル。
いつからかみんなそうしていて、お決まり事のようになってしまったという他ないでしょう。
お茶をやらなくなった今も、和服を着るときは必ず胸元に扇子を入れます。
お願いしますというときのお扇子。
ありがとうございましたのお扇子。
本日よくがんばりましたのお扇子。
習い事、芸事をするに必須となったお扇子でした。
お茶を習っていると必ず小型扇子をひとつ持たされます。
手前に置くという以外、使い道はありません。ただ携帯するのみ。
ではなぜ持っていなければならないのでしょうか。ほかにもそういった品、探してみることにします。
結婚指輪。
会社員のネクタイ。
運動会のかけっこ用ピストル。
いつからかみんなそうしていて、お決まり事のようになってしまったという他ないでしょう。
お茶をやらなくなった今も、和服を着るときは必ず胸元に扇子を入れます。
お願いしますというときのお扇子。
ありがとうございましたのお扇子。
本日よくがんばりましたのお扇子。
習い事、芸事をするに必須となったお扇子でした。
てんてんです。
へそくりで意志を貫くのです。
なんだか意味がわかりません。
この自慢の「へそくり財布」で小銭節約の意志を固めようという話です。
小銭はとかく出て行くものです。
そのためには小銭は出来るだけ少なく持ち歩く、これが奥義でございます。
お札はめったなことでは持ち歩きません。念のために20ドル札を小さく折りたたみ、幾重にも包んで、カバンの底へしのばせて外出することもありますが、ときどき入れたことを忘れてしまうので注意が必要です。
なんだか意味がわかりません。
この自慢の「へそくり財布」で小銭節約の意志を固めようという話です。
小銭はとかく出て行くものです。
そのためには小銭は出来るだけ少なく持ち歩く、これが奥義でございます。
お札はめったなことでは持ち歩きません。念のために20ドル札を小さく折りたたみ、幾重にも包んで、カバンの底へしのばせて外出することもありますが、ときどき入れたことを忘れてしまうので注意が必要です。
実例;帰り道のコーヒーショップにて
まずへそくり小銭入れを覗く。
そのあと看板を見上げる。
カプチーノには1ドル20セント足らない。ホットチョコには40セント不足。
じゃあ普通の薄い黒水(コーヒー)かあ・・・
ええい、やっぱり家で飲もうっと。
ってことでへそくり作戦大成功。
といっても家で飲むコーヒー豆は通常値段の二倍もするオーガニック。
一日2杯は欠かせないほどコーピーホリック。
ミルクもたっぷりで妙にゼータック。
何をどう節約しているのか、結局わけが分からないのです。
ま、けちけちしてもこだわりは忘れるな、という話でした。
とにかくへそくり財布、頼もしいのです。
まずへそくり小銭入れを覗く。
そのあと看板を見上げる。
カプチーノには1ドル20セント足らない。ホットチョコには40セント不足。
じゃあ普通の薄い黒水(コーヒー)かあ・・・
ええい、やっぱり家で飲もうっと。
ってことでへそくり作戦大成功。
といっても家で飲むコーヒー豆は通常値段の二倍もするオーガニック。
一日2杯は欠かせないほどコーピーホリック。
ミルクもたっぷりで妙にゼータック。
何をどう節約しているのか、結局わけが分からないのです。
ま、けちけちしてもこだわりは忘れるな、という話でした。
とにかくへそくり財布、頼もしいのです。
てんてんです。
さて、どれが正しい遊び方でしょう。
1.だるまを転がす
2.だるまを落とす
3.だるまを作る。
1.だるまを転がす
2.だるまを落とす
3.だるまを作る。
正解;
1.だるまは転んではならないので不正解。っていうか、この遊びは面白いのか。
2.だるまの頭を残したままで胴を打ち飛ばすゲームなので、「落とす」は不正解。正確には「だるまを縮ます」。
3.よっし、だるまを作ろうと雪を丸めるとします。カナダの雪はやったらさらさらで、そう簡単にだるまをつくることができません。それでも無茶をやっていると自分が雪だるまになって固まります。
マイナス30度、バナナも凍るの極寒地帯です。
それならもうちょっと待ってからだるまにしようと思うと、翌日は必ずカッチンコッチンに凍ってます。蹴散らすことも出来ないほどです。
ということで正解は、「だるまを使ってどうやって遊ぶか考える」でした。
マイナス30度、バナナも凍るの極寒地帯です。
それならもうちょっと待ってからだるまにしようと思うと、翌日は必ずカッチンコッチンに凍ってます。蹴散らすことも出来ないほどです。
ということで正解は、「だるまを使ってどうやって遊ぶか考える」でした。
わたくし個人としては、だるまをつかって積み木のようにして遊ぶのもいいと思うのです。
だいたいだるまの頭は丸いので、かなりのバランス感覚が養われます。
だるまスケッチはどうでしょう。
だるまの親父顔をやさしくしてみるだけでも雰囲気が変わります。
自分似のだるまもあってもいいかもしれません。
応用編としては、だるまを彫る、だるまを隠す、だるまと語らう、というのもよいでしょう。
「だるまになる」は、遊びとしてはお勧めできません。
てんてんです。
自作、てんてん使用のお手玉(良き明治時代版)です。
お手玉への思い入れは、ちょっと語ると時間がかかります。
長くなりそうです。
作って遊んで楽しいお手玉。
色カタチの愛らしい玩具。
写真の手作りお手玉は、てんてん二十代、二十世紀の終わり頃どっさりとつくりました。
日本のお手玉の型紙は長方形が四枚。着物の残り生地でつくります。
もちろん手縫いです。
そして中身は小豆。つかむとチャカチャカっという軽い音がします。味わいがあります。
しばらく使っているとぽろぽろっと小豆が飛び出す、というところが魅力なのです。
もっと球形に近いお手玉(実用、競技用)となると葉っぱ型四枚あわせ、丸い三角形八枚あわせ、さらにはサッカーボール型だと六角形が20枚と五角形が12枚必要です。
それらを丁寧に縫い合わせます。
そして、あと一歩というところで詰め物を用意。稗などの穀類でもいいし、小豆、ペレット、なんでも可。ただし腐るもの、重いもの、固まるものなどは不可。
そのまま詰めたのでは、縫い目の裂けたところからこぼれてしまうので、ストッキングなどの薄手の伸縮生地に詰めていきます。
できあがり作品の画像はこちらです。

上手に出来上がったらさっそく遊んでみましょう。
一個でもじゅうぶん楽しいのですが、三個あればそりゃもう何百種類もの技が可能なわけです。
どうして球形がいいのか。パンパンに詰めて重くするのはなぜか。
それはお手玉ジャグリングをやればわかるわけです。
経験を生かし、改良を重ねてこそ、りっぱなお手玉師(つくるほう)になれるというものです。
いろんな色や大きさのお手玉が宙に舞う光景はとにかく美しいものです。
お手玉遊びをするうちにリズム感やコーディネーション感覚が養われます。
左手の練習にもよろしいかと。
お手玉、すきなのです。
お手玉好きも、すきです。
長くなりそうです。
作って遊んで楽しいお手玉。
色カタチの愛らしい玩具。
写真の手作りお手玉は、てんてん二十代、二十世紀の終わり頃どっさりとつくりました。
日本のお手玉の型紙は長方形が四枚。着物の残り生地でつくります。
もちろん手縫いです。
そして中身は小豆。つかむとチャカチャカっという軽い音がします。味わいがあります。
しばらく使っているとぽろぽろっと小豆が飛び出す、というところが魅力なのです。
もっと球形に近いお手玉(実用、競技用)となると葉っぱ型四枚あわせ、丸い三角形八枚あわせ、さらにはサッカーボール型だと六角形が20枚と五角形が12枚必要です。
それらを丁寧に縫い合わせます。
そして、あと一歩というところで詰め物を用意。稗などの穀類でもいいし、小豆、ペレット、なんでも可。ただし腐るもの、重いもの、固まるものなどは不可。
そのまま詰めたのでは、縫い目の裂けたところからこぼれてしまうので、ストッキングなどの薄手の伸縮生地に詰めていきます。
できあがり作品の画像はこちらです。
上手に出来上がったらさっそく遊んでみましょう。
一個でもじゅうぶん楽しいのですが、三個あればそりゃもう何百種類もの技が可能なわけです。
どうして球形がいいのか。パンパンに詰めて重くするのはなぜか。
それはお手玉ジャグリングをやればわかるわけです。
経験を生かし、改良を重ねてこそ、りっぱなお手玉師(つくるほう)になれるというものです。
いろんな色や大きさのお手玉が宙に舞う光景はとにかく美しいものです。
お手玉遊びをするうちにリズム感やコーディネーション感覚が養われます。
左手の練習にもよろしいかと。
お手玉、すきなのです。
お手玉好きも、すきです。
てんてんです。
三味線の撥(バチ)、裏(自分の視線)からのアングルでご覧ください。
カナダ人に「アイススクレーパーみたいだね」とよく言われます。
カタチは撥にとても似ております秘密機器「氷落としヘラ」は、雪国カナダならではの真冬の必須アイテム。
愛車に必ず一本は常備されており、窓ガラスにへばりついた氷をがりがりと擦り落とします。
指先に感覚がなくなってもひたすらがりがり。
日に何度もがりがり。
あっちでもこっちでもがりがり、という風景が見られるわけです。
そんなことよりわたしの愛撥。
写真のものは第一号の「黒蜜くん」と申します。プラスティック製です。
その他、すべてお見せできなくて残念ですが銘銘だけでもご紹介させていただくことにします。
黒木とべっ甲の「北山麓」。
白いボディの「白河くん」。
細身の「千歳」、木製の「木蓮」。
あとに「亀吉」「権助」「矢羽根」と続きます。
結構、数あるものです。
何度も力ずくで三味線の皮を叩いていると、撥の先は壊れます。
端っこが欠けると、もう片方の端。
使えるのは二回のみ。それも欠ければ、撥としての一生を終えなければなりません。もちろん鼈甲を取り替えることも可能ですが、割れればそれまで。
それぞれ撥として生まれてきたからには、精一杯使い込んで実のある一生を送らせてあげようと思うわけです。机から思わず落っことして先端を割ってしまったりしてのでは申し訳ありません(すでに経験済み)。
カタチは撥にとても似ております秘密機器「氷落としヘラ」は、雪国カナダならではの真冬の必須アイテム。
愛車に必ず一本は常備されており、窓ガラスにへばりついた氷をがりがりと擦り落とします。
指先に感覚がなくなってもひたすらがりがり。
日に何度もがりがり。
あっちでもこっちでもがりがり、という風景が見られるわけです。
そんなことよりわたしの愛撥。
写真のものは第一号の「黒蜜くん」と申します。プラスティック製です。
その他、すべてお見せできなくて残念ですが銘銘だけでもご紹介させていただくことにします。
黒木とべっ甲の「北山麓」。
白いボディの「白河くん」。
細身の「千歳」、木製の「木蓮」。
あとに「亀吉」「権助」「矢羽根」と続きます。
結構、数あるものです。
何度も力ずくで三味線の皮を叩いていると、撥の先は壊れます。
端っこが欠けると、もう片方の端。
使えるのは二回のみ。それも欠ければ、撥としての一生を終えなければなりません。もちろん鼈甲を取り替えることも可能ですが、割れればそれまで。
それぞれ撥として生まれてきたからには、精一杯使い込んで実のある一生を送らせてあげようと思うわけです。机から思わず落っことして先端を割ってしまったりしてのでは申し訳ありません(すでに経験済み)。
大事に大事に使わせていただきます。
これからも末永くお付き合い願いたいと思う次第であります。
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非公開
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日本生まれ
カナダ大陸東南あたりに生息
比較的温暖な緑地を好む
雑食型(主に草食、ときどき肉)
群れない
種子を残さない
でもそれなりに依存型
「三味や太鼓で大騒ぎ」が得意
カナダ大陸東南あたりに生息
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