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てんてんです。

木琴のてんは「甜」。
あんまり聞かない漢字ですが「甜菜」に使われる甘いとか旨いの甜です。

木琴の音色はあまい。
はじけて、ぽろぽろっとこぼれる果実のような甘味がします。
特にこのおもちゃの木琴は、西欧音階も見事に無視した民族楽器特有のアマさがあるのです。

現在日本におります友人のキョーコちゃんはマリンバ奏者。
特大横長のマリンバを演奏する彼女の細い腕が、木の鍵盤のうえで自由に跳ね回る姿は今でもありありと目に浮かびます。
そしてマリンバという楽器はなんとも心地良い音を奏でるのです。
キョーコちゃんが木の床で踊る妖精のようで、一気に惚れなおすのであります。

今でも妖精のようにマリンバを弾いてくれていますように。


アルバム「テンテン出囃子」に入っています「こんこんこん」という曲は、そんな彼女と木琴奏者として是非とも参加してほしいという思いから書き上げました。

お歌も上手なキョーコちゃん。ステージでも輝いていたキョーコちゃん。
「こん、こん、こんっ、あめあめふれふれ・・・」と元気に歌いながら、木琴を披露してくれました。

しかし残念ながら、急遽日本に帰国が決まりてんてんレコーディングには参加してもらえませんでした。
その後、トリオボーカールからデュエットに書き直し、このおもちゃ木琴でこんこんこんのやりなおし。

そうです、これはまさに「こんこんの木琴」。

まさにこんこんと鳴ります。

雨粒のように弾けた音がします。

以後、出番のないこの木琴・・・

今度、雨が恋しい時に鳴らしてみることにしましょう。


次はなんと「TEN TEN」。
一体なんの音なのでしょうか。
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てんてんです。

小鼓のてんはもちろん古典の「典」。

つづみの音(四つの音色があるといいます)はまるで語りかけてくる日本語の語調そのものです。


鳴らすのではなくて語らせ、謡わせる楽器だと思うのです。
合いの手というくらいですから。
てんてんの曲の中でも上手に語りかけ、絶妙なタイミングでうなずいたり相槌を打ったりしてくれます。


つづみの練習法として、往年の関西芸、「おまえはあほか」をやってみます。四の音階でできるわけです。上手に語れましたでしょうか。
言葉の持つ軽快さと、鼓の荘厳な響きがなんともミスマッチで良いのです。

ついでに「おまえのかーさんでーべーそ」もやってみましょう。これは少々難解です。
なんといっても高低音の差がもっとはげしい。

どんな曲(?)を打ってみても、やはり格式高きお能のように思えてしまうのは、まさに鼓の風格。
古典芸能の威厳というべきなのでしょう。

あくまで、姿勢を正し、きちんと正座して行ないましょう。


お堅い「典」のあとは、甘い「甜々」です。
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てんてんです。

昔々、量る器としてのマス。
現在、うちで酒を飲むためだけにありマス。

枡酒からはほんのり檜のにおいがします。もうそれだけで幸せなのです。

この枡酒の正しい飲み方、ご存知でしょうか。
角のとがった部分からではなく、平らな部分からぐっといってください。

そう教えてくれたのは亡き祖父です、で、わたしもそうしておるわけです。
それが枡酒のオフィシャルな飲み方なのかどうか分かりませんが。

元気だったころの祖父は、朝、昼、晩、どんなときでも酒を欠かしません。

枡の飲み口に塩を乗せておくのがコツ。つまみ無しで何杯もいけます。
寝る前のみかんも、デザートの甘納豆も、祖母の愚痴だってなんでも酒の肴となるのです。

日に三度の食事は米と味噌汁と漬物のみ、ただそれだけ。

家族がどれだけご馳走をこしらえても、祖父は食を変えません。
目玉焼きもパスタもハンバーガーも、生涯一度も食べることなくこの世を去りました。

酒だけが一番の贅沢。そんな祖父の一生は、とてもとても豊かであったにちがいありません。

この枡で酒を飲むたびに、質素で頑固な祖父を想いマス。

そしてその枡に、生きている喜びを感じさせられるのでありマス。

しつこく、終わりマス。
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てんてんです。

姉がおります。

四歳上の姉は小学校のころ、ランドセルから突き出たそろばんをちゃかちゃか鳴らせて、そろばん教室に通っていました。
すでに父からマイそろばんを買い与えられていたわたしは、足し算だってへっちゃら。
小学校高学年になったら姉のようにそろばん教室に通うぞと心に決め、今か今かと心待ちにしていました。

そしていざ見学第一日目。

神経質そうな面長のおじさんが、まるでお経を読むかのように無機質に計算式を読み上げます。その瞬間、いっせいに机横一列に並んだ頭が下がり、かちかちかちとそろばんがなり始めます。
みな一心不乱です。
「ねがいましては・・・」と次の問いがはじまると全員一斉にじゃらっとそろばんをゼロに戻します。
また計算マシーンとなって、再度かちかちかちがはじまるわけです。

凍りつきました。

教室の全員がそろばん霊に憑かれた物の怪にみえました。異様でした。

習い事は大好きで、そろばんもやる気まんまんだったわたしも、二度とあの教室には入ることはありませんでした。
だからまだそろばんで掛け算できません。

無念。
またまたてんてんです。

ここ「観点」のページでは、普段使っている道具、機材、愛用品などを紹介すると同時に、てんてんの視点から見たまま感じたままを書き綴っていきます。

どうなりますことやら。
おたのしみに。

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ついつい虫眼鏡でのぞきたくなるもの;
お札の模様、蟻の顔、氷の結晶、アオカビ、毛穴、目玉(危ないのでやめましょう)。
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てんてんです。


自分で言うのもなにですが、わたしの持ち備えております名器(?)です。
てんてんで一番重要な鳴りもの、というわけです。


のどの「てん」はまさに「点」。

小さなしるし。

点をつけることによって文字に意味を持たせることができます。文章のなかに区切りと意味合いを持たせてくれます。単に意思伝達の手段として用いるだけでなく、「のどを鳴らす」という言葉がありますように天地に響かすものなのです。
自分ののどを知りつくし、磨き上げることによって立派な楽器として活用できます。
そうするためにも日ごろからケアし、メインテナンスを怠ってはなりません。
 
まず、準備運動として;
 
まず咽喉(のど)を鳴らしてみます。
朝はいつもぎこちない。
まだまだ準備が出来ていないようなので、充分水分をとって慣らしてあげます。
目を閉じるといろんな音が聞こえます。鳥の声、枝が揺れる音、近所の物音、車の雑音、冷蔵庫の機械音。その風景にとけ込む自分の音。うーんと唸ってみたり、くんくんと鳴いてみたり。音で会話したり、調和したり。後ろで楽団やバックコーラスが支えてくれる代わりに、風や海や町の雑音があります。思うままにサウンドを作ってみます。できるだけ自然に。

のどは楽器なので、できるだけ言葉で感情を表わさないようにします。
声の抑揚や質感、重みや厚さでできるだけで十分つたわるものです。
好きな母音や子音を使って、自分の声をからだじゅうで感じてみるのが第一歩。


では、応用として;

自転車に乗りながら「うぎゃー」と叫んだりします。
迫りくる大型トラックや信号機の機械音との会話してむるのです。
注意;排気ガスを余分に吸い込まないように。

電車をプラットホームの先端で待ちます。
電車が向かってくる大音量に同化してのどのボリュームをMAXまであげます。
注意;電車の運転手さんを怖がらせないように。
 
お客さんの入る前の劇場やホールでエコー具合を試します。
もちろん誰もいない銭湯、ほら穴、トンネルがあれば最適です。
これは間違いなくすっきりします。エコーがかかると自分の声がなんだか上手に聞こえて気持ちよいものです。
注意;天狗になってはいけません。

 
音階や節回しなんかを考え過ぎないように。まずは発声マシンになりきること。
カラオケでマイクの音量をあげるより、野外でやたらめったら声を張り上げてみましょう。
 
声は出るもの、のどは鳴らすもの、うた声は通すものです。


次回、「点々」から「典々」へ。
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てんてんです。

尺八のてんは展開の「展」。
尺八の音とともに、曲がどんどん展開していく様は得も知れぬ幸福感に満ちています。

わたしが愛してやまないこの楽器は、竹笛のタテ版であることはご存知のとおりです。
 
が、横笛と同じく、素朴であるがゆえ演奏困難きわまりないやっかいな代物です。
難解だからこそ、本当にこころから心酔できる楽器だとも思います。

禅との深い結びつきから“最も日本的な音”とも言われたりもしますが、歴史的、精神的な部分はさておき、将来においても新たな展開をみせてくれるであろうこの竹の筒。
近い将来、どんどん世界中の人に愛されていくのでしょう。
 
 
ところで、わたしが日本でお世話になりました尺八の先生方、どなたもお唄が上手です。
てんてんメンバーとして尺八を吹いてくれている草野氏(スコットくん)もしかり。

もちろん理由は簡単。

尺八は歌うように吹くものなのです。

歌うといっても音程の良し悪しや、音感の問題ではありません。
感情の噴出。
それは言葉で表すよりももっと簡潔で、ダイレクトに胸に響きます。

もうひとつ。
尺八を吹かれる方は、必ずといっていいほど自分で尺八を作ります。
そして、自然をこよなく愛しておられます。

言ってみれば、竹の林が近所にあれば材料費はそれほどかかりません。
穴はドリルで開ければ簡単です。

ですが、尺八づくりは精巧緻密で、なんといっても計算と力量がものをいいます。
まさに職人芸なのです。
そこまで突き詰めてまでも自分でつくりだしたいという真剣一途な気持ち、そして自然への敬意があってこそ、尺八奏者としての道が開かれるということでしょうか。

スコットも自分で作ったマイ尺八を愛用しています。
自分で作ったからこそ、癖も難も全部知り尽くしいるから体の一部のように自然に音が産み出せるのでしょう。


日本で唄う際、尺八の先生方が来られて伴奏してくれる時がしばしばありました。いつもは三味線をバックにジャンジャカにぎやかにやっていても、このときだけは空気が張り詰めます。

「たけもの」といって竹一本(尺八)と、のどひとつ(唄)でやるわけです。

民謡の尺八奏者は誰と合わせるときも上手に伴奏にまわってくれます。
唄い手が少々おどおどしていも、尺八のメロディーがしっかりサポートしてくれ、音を運んでくれます。

「たけもの」には、しみじみとした叙情のこもった曲が多くあります。

微妙な息づかい、音程も旋律もモロにでます。
若さや元気だけでは押し通せません。
音の長さや節回しも、唄い手にかかっています。
相当に唄いこまなければ人前で、ましてや尺八の名手と並んで演じられるものではありません。

だからこそ緊張するわけです。
力みすぎたりして、音をはずしたりしてしまうのです。

美しい尺八の前奏を聴いているうちに、つい詩を忘れたりするわけです。
 
 
尺八は、てんてんの音楽になくてはならない大切な、大切な音です。


次はわたし自信の奏でる「点々」へとまいります。
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てんてんです。

縦置きになっていますが横笛です。

「填す」(あ・す)と書いて、いっぱいにするとか満たすとかの意味になるそうです。
聞きなれない言葉です。
もって、「填す」。

言ってみても素敵な語でしょう。
この音読みがテン。
充填・装填と聞けばなんとなくイメージも湧きます。ありがたき漢字変換機能。いろんなところで勉強になるというわけです。


そうです、横笛のてんはまさに「填」。
ぽっかり空いたところを満たし、吹き抜ける竹の音が心地よいのです。

竹一節のシンプルな作りなだけにとても音を出すのが難しい楽器です。ちょっと滑稽で、なつかしい竹笛の囃子は、太鼓、三味線といったごく単純で土臭い楽器と自然にうまく打ち解けます。

風の如く天に響きわたる笛の音は、てんてんの曲に新しい息を吹き込み、全体を優しい風で包んでくれます。
 
 
写真の笛はてんてん自慢の六本調子笛で、銘は「竹光」といいます。

このカナダの乾燥した気候にも耐え、わたしの重くてぱんぱんのカバンの中でもみくちゃにされながらも強く生き抜いております。

この竹光との出会いは十年以上も前、東京にある老舗の笛屋さんでのことであります。

まだろくに音も出せないわたしが目移りしながら選んでおりますと、お店の方がどれでも好きなのを吹いて試していいですよと言ってくれました。ふいに目に付いた一本を手にして息を吹き込んでみたところ、見事にきれいな三の音(低いオクターブです、もちろん)を店内に響かせてくれました。
結果、その笛に感謝の意をこめて、カナダへお付き合いしてくれるように申し込んだわけなのです。
 
で、わたしの笛技術はというと、音が出るといった程度のものでとても演奏など出来ません。
思うように笛が歌ってくれればどんなにいいだろう、と日ごろから努力はしているのですが。

なかなか思うようにはいきません。

なんでも片手間でやってはいけないのです。
これからもこつこつとやっていくほかありません。
竹光に嫌われないよう、時々は手にとってやり息を吹きかけてやるつもりでおります。

それではこのまま「展々」と展開していきます。
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てんてんです。

これです。
これが天に届く「テン」です。
太鼓の音としての「テン」は三味線の「テン」に比べてもっと馴染み深いかもしれません。

「テンテケテン」と聞けば、日本人ならまず太鼓が思い浮かぶはずです。

これは日本人の感性であり、わたしの愛する日本語の大きな特徴です。

テンだけでなく、いろいろな音と風景が目に浮かんできます。

ドンといえば、大きな祭りの太鼓の音。
トンはドアをたたく音。
ポンは狸の腹太鼓。
カンと響くかなづちの硬い音。
ゴンと頭を打ちつけた音。

日本語にはこういった擬音の楽しさがあります。
言葉で音の質や重さ、状況や気分まで確かに感じ取れます。


てんてんの太鼓はドンでなくテンです。
とどろかせず、にごらせず、天に響く「テン」の音であってほしいと思うのであります。

囃子太鼓とはいえ、鍛錬が必要です。間や腕の上げ下ろし、座り方、撥づかい、息遣いも目線もすべてマスターしなければなりません。
打楽器演奏の技術や訓練よりも、太鼓に向かう姿勢、集中力、そして美しく凛々しい型が、テンテンと鳴らすための大切な要素です。


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太鼓の達人;
「永田社中」率いるリーダー、永田キヨシの太鼓には祈りがあります。

彼自身が自然体として太鼓に共鳴するからだと思うのであります。

彼の握り締めたバチに、炸裂する低音に、振り上げられた腕に、表情に、筋肉の収縮に、にじむ汗の玉に、すべてに痛いほどの気持ちの高ぶりをみるのです。

世間では、いろんな人がアーティストを目指します。

才能ある人。器用な人。すごくがんばり屋の人。運のある人。人材に恵まれた人。売り込み上手な人。ただ何かやりたい人。元気な人。ヒマな人。

永田氏ほど一途な人は稀です。
ただ真剣というそれだけで、人を圧倒させ、納得させることができるのだと彼を見てそう感じるのです。

それはまるで子供が砂遊びに夢中になる姿、もしくは馬が奔走する姿に似ています。

目的や計算のない、ただひたすらな行為。

それを本能と呼ぶなら、永田氏は本能で太鼓を叩くのでしょう。

http://nagatashachu.com/


引き続き、永田氏の奏でる「填々」へと参ります。
 
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こちら、オリジナル曲作りの一環として乗り組んだ企画です。

デビューアルバム「テンテン出囃子」完成を目標に掲げ、発動いたしました。

組員は三人。
もちろん企画、発案、そして曲作りはわたくしこと、てんてん。
腕利きプロデューサーとしても、マネージャー、プロモーターとしても協力を得ました恩師、永田キヨシ。
音源づくり、レコーディングに大きくかかわってくれた頼りになるDJ音屋、ハイディ陳。

その他たくさんの人々の協力を得て、なんとか完成までこぎつけたファーストアルバム、それはそれは我が子のように可愛いものです。

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ハイディはこのイベントのあとすぐに両親のいる香港へと巣立っていきました。

曲づくりも含めて、楽しかったこと、苦しかったこと、あせりまくったこと、ぜんぶひっくるめて、たいへんに勉強になりました。
ひとつひとつ積みあげていくことの難しさ、考えすぎて陥るどん底の深さ、眠れない夜の長さなど、受験やオーディションでも経験したことのない焦りと不安に悩まされ続けました。それでも、創りあげていくことの喜びには代えられません。
曲の良し悪しや演奏の出来不出来よりももっと問うものがあるのです。

鳴り物応援団としてレコーディングにも参加してくれた永田社中の面々。
女三人コーラストリオに加わってくれた坂本教授、どうもありがとうございました。


出囃子乗組員:

高橋アキ(三味線、唄、鳴り物)
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永田キヨシ(笛、太鼓、小鼓、鳴り物、お囃子)
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ハイディ陳(笛、太鼓、唄、鳴り物、箏)
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ニックシャオ(太鼓、パーカッション、鉄琴)
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坂本いづみ(唄、鉄琴)
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加藤美樹(三線、太鼓)
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加藤篤とアンジェラコランジェロ(太鼓、鳴り物、お囃子)
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そして全員勢ぞろいのアンコールで終わり
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演目:てんてん出囃子全曲
演奏先:ブロアー通り西、コンコルドカフェにて

これからもてんてんをどうぞよろしくお願いいたします。

音源はこちらから;
まずまずてんてん
profile
HN:
てんてん-TEN TEN
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
日本生まれ
カナダ大陸東南あたりに生息
比較的温暖な緑地を好む
雑食型(主に草食、ときどき肉)
群れない
種子を残さない
でもそれなりに依存型

「三味や太鼓で大騒ぎ」が得意
ひにひにてんてん
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