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てんてんです。
一輪車、乗れます。
だからどうだというのだ、と若い世代の日本人なら思うでしょう。
小学校に一輪車など置いているはずもなく、写真や絵でしか一輪車の存在をしることはありませんでした。
それが、運動神経も後進しようという20代すぎに、まさか初乗りを経験するとは思ってもないことでした。
なんとか塀や壁伝いによろけながらなんとか姿勢を保つまでに3時間。
それから手放しで(もともとハンドルはないのですが)前にキコキコ進むまでに1週間。
くるっと進行方向を変えるまでに2週間。
だからどうだというのだ、と若い世代の日本人なら思うでしょう。
小学校に一輪車など置いているはずもなく、写真や絵でしか一輪車の存在をしることはありませんでした。
それが、運動神経も後進しようという20代すぎに、まさか初乗りを経験するとは思ってもないことでした。
なんとか塀や壁伝いによろけながらなんとか姿勢を保つまでに3時間。
それから手放しで(もともとハンドルはないのですが)前にキコキコ進むまでに1週間。
くるっと進行方向を変えるまでに2週間。
フリーマウント(ペダルに足をかけ、何もつかまらずにスッと乗る)までに4週間。
アイドリング(乗ってペダルを前後させながら同じ場所にいられる)までに2年半。
という歳月を費やしたのです。
長い長い道のりでした。
実際うちの姪(当時5歳)は三輪車に飽きるとすぐ一輪車に乗りかえ、二輪車(自動ではない)はスピードが出るので怖いと三年生まで乗れませんでした。考えれば当然。
自転車にはギアやらチェーンやらやたら付属品がついて、坂道などはブレーキがないと止まれないほどのスピードで滑走します。故障も少ないし、スピードがコントロールできるので安全です。横には絶対に倒れません。二輪より一輪(三輪も)のほうが安全なのは一目瞭然。
アイドリング(乗ってペダルを前後させながら同じ場所にいられる)までに2年半。
という歳月を費やしたのです。
長い長い道のりでした。
実際うちの姪(当時5歳)は三輪車に飽きるとすぐ一輪車に乗りかえ、二輪車(自動ではない)はスピードが出るので怖いと三年生まで乗れませんでした。考えれば当然。
自転車にはギアやらチェーンやらやたら付属品がついて、坂道などはブレーキがないと止まれないほどのスピードで滑走します。故障も少ないし、スピードがコントロールできるので安全です。横には絶対に倒れません。二輪より一輪(三輪も)のほうが安全なのは一目瞭然。
ここカナダで一輪車普及を目指してます。
とくに目立つ活動はしていませんが。
とくに目立つ活動はしていませんが。
トロント市には、なんと一輪車クラブなんというものもあります。
彼らの主活動は一輪車好きが週に一度集寄り集まって、乗り合いっこしたり、バスケットボールをしたり。
わたしにとっては特に楽しいものではありませんが。
なにしろ普段は交通手段として使っているので、娯楽やスポーツで乗る人たちとは少し意識が違いますが、環境にもよし、健康にもよし、そして注目度は日本よりもぐっと高いときています。
どうでしょう、さっそく一台購入してはいかがかと思います。
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てんてんです。
現在、畳の生活です。
これがいかほどに贅沢なことであるか、カナダに暮らし始めて十数年。
ようやく身を持って知ったわけであります。
生まれ育ったわが家は、どの部屋も畳敷きでした。
板床だったのは、台所、洗面所、廊下と玄関先。
隣近所のお家も、親戚のお家もどこでもそうでした。
一見洋館にみえるつくりでも、ピアノとレースのカーテンのあるお屋敷でも。
「ではおやすみなさい」といえば畳のある寝間に通され、押入れから布団が出てきます。
そういうものでした。
1995年、はじめてのカナダ生活。
カナダ人の家に間借り。キッチン、バス共同。
全フローリング。
はじめての土足生活。
まず家具のないわたしは、ダンボールと自分のスーツケースでとりあえず衣装箪笥と物置棚作ります。
そしてドアの入り口にちいさなわたし用玄関。
生活の場、部屋の90パーセントは土足厳禁。床をきれいに保ちます。
なので、床にそのまま寝袋で寝起き、結構快適。
机やいすが無くても平気です。
テレビもビデオもいりません。
本は枕元に重ねておけばよいのです。
考えてみれば、京都時代となんら変わりありません。
欠けているのは畳とこたつ。
難点は、長時間フローリングで座っているとお尻がいたい。宿題と書きものが不便。
時折、大家のおばちゃんが土足でうちの部屋へ入ってきては聖地を侵すのもほとほと閉口しました。
いつか土足愛好者のいない平和な場所へ・・・と思いながら一年。
一年後。
ルームメイトとキッチン付きのアパートに引越し。
郊外の高層ビル。
ふわっふわのカーペット床。
友人から譲ってもらった布団一式でさらに快調快眠。
ごろんとなったり座ったりは楽になったのだけど、どうも夏は不快。
汗もしみこむ。泥もしみこむ。ついでに見えない害虫も・・・
以前に住んでいた住人(たぶん室内土足人族)の排出量まで考えると、おちおち寝転んでなどいられない。
毛髪、食べかすなんかもいちいち掃除機(友人のを借りる)で吸い出すのもこれまた面倒なのです。
よし、次回は必ずやぴっかぴかの板床にするぞと決意。
数年後。
日本から座椅子と座布団を搬入。
一緒に飛行機に乗ってカナダに渡りました。
念願のフローリングで長く座っていても平気な家具を手に入れたわけです。
そして、今年2010初夏。
新しい新居に畳がお目見えすることになりました。
やっと念願の「快適!畳生活」のはじまりです。
東京に住む友人はかれこれ15年以上フローリングの床で快適生活しています。
海外に住んで30年の奥様も畳が恋しくなったことは一度もないとおっしゃります。
カナダ生まれの知人は、なにが悲しくてストローマットをひくのかとのたまいます。
誰が何を言おうが、わたしの生活には畳が不可欠です。
そしてあのイグサの匂いは、日本そのものです。
あの青草のうえに寝ころんでいられるということは、やはり贅沢です。
しあわせいっぱい、なのです。
これがいかほどに贅沢なことであるか、カナダに暮らし始めて十数年。
ようやく身を持って知ったわけであります。
生まれ育ったわが家は、どの部屋も畳敷きでした。
板床だったのは、台所、洗面所、廊下と玄関先。
隣近所のお家も、親戚のお家もどこでもそうでした。
一見洋館にみえるつくりでも、ピアノとレースのカーテンのあるお屋敷でも。
「ではおやすみなさい」といえば畳のある寝間に通され、押入れから布団が出てきます。
そういうものでした。
1995年、はじめてのカナダ生活。
カナダ人の家に間借り。キッチン、バス共同。
全フローリング。
はじめての土足生活。
まず家具のないわたしは、ダンボールと自分のスーツケースでとりあえず衣装箪笥と物置棚作ります。
そしてドアの入り口にちいさなわたし用玄関。
生活の場、部屋の90パーセントは土足厳禁。床をきれいに保ちます。
なので、床にそのまま寝袋で寝起き、結構快適。
机やいすが無くても平気です。
テレビもビデオもいりません。
本は枕元に重ねておけばよいのです。
考えてみれば、京都時代となんら変わりありません。
欠けているのは畳とこたつ。
難点は、長時間フローリングで座っているとお尻がいたい。宿題と書きものが不便。
時折、大家のおばちゃんが土足でうちの部屋へ入ってきては聖地を侵すのもほとほと閉口しました。
いつか土足愛好者のいない平和な場所へ・・・と思いながら一年。
一年後。
ルームメイトとキッチン付きのアパートに引越し。
郊外の高層ビル。
ふわっふわのカーペット床。
友人から譲ってもらった布団一式でさらに快調快眠。
ごろんとなったり座ったりは楽になったのだけど、どうも夏は不快。
汗もしみこむ。泥もしみこむ。ついでに見えない害虫も・・・
以前に住んでいた住人(たぶん室内土足人族)の排出量まで考えると、おちおち寝転んでなどいられない。
毛髪、食べかすなんかもいちいち掃除機(友人のを借りる)で吸い出すのもこれまた面倒なのです。
よし、次回は必ずやぴっかぴかの板床にするぞと決意。
数年後。
日本から座椅子と座布団を搬入。
一緒に飛行機に乗ってカナダに渡りました。
念願のフローリングで長く座っていても平気な家具を手に入れたわけです。
そして、今年2010初夏。
新しい新居に畳がお目見えすることになりました。
やっと念願の「快適!畳生活」のはじまりです。
東京に住む友人はかれこれ15年以上フローリングの床で快適生活しています。
海外に住んで30年の奥様も畳が恋しくなったことは一度もないとおっしゃります。
カナダ生まれの知人は、なにが悲しくてストローマットをひくのかとのたまいます。
誰が何を言おうが、わたしの生活には畳が不可欠です。
そしてあのイグサの匂いは、日本そのものです。
あの青草のうえに寝ころんでいられるということは、やはり贅沢です。
しあわせいっぱい、なのです。
てんてんです。
唐突ですが、京都の夜のアルバイト時代の話をします。
湿ってよどんだ空気が流れる、暗い地下のバーで働いた二十代前半。
年中無休。
営業時間は夜8時から朝の5時。
雨の降る夜。
客が来ない。
なかなか帰らないいつもの客。
常に時間をもてあますのです。
マスターははやばやと奥の長椅子でゴロンとなったまま熟睡に入ります。
そうすると、唯一のウェイトレスのわたしは完全に暇です。
本を読めるほど灯りはなし。
店のCDもすでに聞き飽きる。
酒も飲めばますます眠くなる。
で、知恵の輪。
ただの頑固な金属の輪。
いじるほどに謎が深まる。
ふとした瞬間にぱっと解けても、二回目には必ず同じ迷路にはまる。
みるみる間に時間は過ぎます。
そしてまた次の夜も、同じように手にとってしう知恵の輪。
謎深し。
考えたあげく、わかったことは、この知恵の輪はマスターであるということ。
マスター=主人。
横ですやすや眠っているバーの主人。
十代のころからバーテンで、60代になる今もバーテン。
本業は詩人。
副業は新聞配達。
もちろんバーテンは天職、才能です。
マスターが謎であることは、この事実だけでも十分。
その他のもろもろを所業を書き出せば、一冊の小説どころか全17巻の大辞典くらいにはなります。
わたしが彼の謎にはまったのは、10代のおわり。
うちのアパートの近くにあった店の灯りに誘われて、夜中にふらっとひとりで立ち寄ったのが事のはじまり。
その看板には書いてあったのです「アリスの落ちた穴の底」と。
いまもあります。
マスターもまだ生きています。
さすがに早朝に新聞は配ってないようです。
たくさんお薬を飲まないとカウンターに立ってられないといいます。
そこまでしても店に居座るマスター。
したたかで切れ者のマスター。
酒飲まないマスター。
無口なマスター。
今も穴の底で眠っているでしょう。
てんてんです。
ふわふわの羊の毛です。
自家製です。
細いのや太いのがあります。
同じ色はもう二度と出せません。
これらの毛糸玉はメキシコ産。
時代は1998年。
てんてんメキシコ期へとさかのぼります。
滞在の目的は、TEXIDO(はた織り)習得。
ALLENDEという歴史のある芸術学校で技術を学びました。
はた織りの講師は、アガピート。
とにかくだらだらしています。
学校へも来たり来なかったり。来てもだらだらしゃべるばかりです。
でも織りの技術はピカいち。
彼の実家で毛糸をつくっているというので、ある日その織物一家を見学がてらお手伝い。
刈りたての羊の毛はごわごわ、ねちゃねちゃしています。
何度かきれいに洗ったあと、剣山のようなもので梳(す)いてやります。
そしてふわふわの毛から均一にすこしずつ丁寧に巻き取りながら一本に紡いでいきます。
ほやほやの羊毛、どこかいびつで不均等な毛糸のできあがりです。
その後、学校に帰ってきてできたて生成り色の羊毛をアガピート監視のもとで染め上げます。
染料の入った特大鍋で羊毛をぐつぐつ煮立ててやります。
暑い盛りのメキシコの地では染めも容易な作業ではありません。
ていねいに浸し、掻き回し、絞ったり干したりを繰り返します。色が染み渡り、適度に落ち着くまでなんども根気よく続けます。
そしてようやく、淡いメキシコ色の羊毛に染め上がります。
こうやって紡いで染めた羊毛が、自分の手で一枚の布地となるのです。
実用の品として仕上がるわけです。
満足度は何倍にもなります。
手元に残った毛糸玉は、メキシコの太陽の匂いがします。
眺めているだけで、じんわり心があったかくなるのです。
てんてんです。
書道の師、今は亡き古郷先生について書いてみようと思います。
小学校一年生でお習字を習い始めました。
教室では一人一時間などという時間割り制度はありません。いつ来ていつ帰ったってかまいません。早くできれば終わり。気の済むまでずっと書いていても叱られません。
「今日は墨が濃いので二重マル」
「上手に書けてるけど、紙が汚れているからダメ、書き直し」
「ここ、二度書きしたでしょう、じゃもう一回」
「筆の先がばらばらになってるので、止めるとき丁寧にね」
という具合に、字を上手に書くというよりも筆や墨の扱い方が悪ければマルはもらえません。
お手本の字をなぞっただけ、後からちょっと修正したりしても、すぐにばれてしまいます。
いくら字が上手でも、筆に勢いがあってその上バランスの良い字でなければなりません。
いくら年数かけて師のもとに通っても、勝手に上達するものでもありません。
いくら段の所得者とはいえ、段を目標にしてはいけません。
いくら好きでも、心に余裕がなければ本当の書にはなりません。
気持ちをひとつにして、ええいってな具合で気合を入れないと、真剣一発勝負の試合に負けてしまうのです。
墨を摺るときの緊張が好きです。
ごりごり、という音が好きです。
黒がじわーと深くなっていくのをゆっくり確認したいのです。
古郷先生とともに費やした九年間は、自分自身との大きな大きな勝負の場でした。
どうもありがとうございました。
黒がじわーと深くなっていくのをゆっくり確認したいのです。
古郷先生とともに費やした九年間は、自分自身との大きな大きな勝負の場でした。
どうもありがとうございました。
てんてんです。
言わせてもらいます。
手が自慢です。
ずっと昔昔、うちはコーヒー卸の喫茶店だったことがあります。
父が麻袋コーピーの豆を買いにいきます。
それを少しずつ丁寧に挽きます。
母が挽き立ての珈琲豆を木綿の袋に入れます。
じっくり煮出します。
これが毎日の仕事です。わたしは幼かったのでそれをじっと見ていました。
ちなみに母の実家は八百屋。
八百屋といってもスーパーのように、商品を並べて売るだけではありません。
魚を釣ります。それを水槽で飼って、そして捌きます。
肉の塊が運ばれて来ます。それを特大冷凍庫に入れて、そして切りそろえます。
神棚用のサカキ(植物です)を採りにでかけます。それを適当な大きさに切り揃えて、束にします。
豆腐も切ります。
果物を選別します。
豆を量ります。
それでもまだまだたくさん仕事が残っています。
父の本家は醤油屋。
製造です。
大きい蔵があります。
そこにはでっかい樽があり、大豆がぐつぐつ煮えています。
一年中、豆が発酵するにおいがしています。
常にたくさんの人が入れ替わり立ち代わり作業を手伝いにきます。
仕事は毎日、山のようにあります。
幼いわたしはお菓子を与えられて、無口で働き者の大人たちの手をずっと一日中見上げていました。
そんな働き者遺伝子をひきついだ自分の手を一番誇りに思うのです。
使い込んで、ぼろぼろになって、それでもまだ動き続ける手があるうちは、きっと何でもできると思うのです。
思い出せないことも、忘れたことも、手だけが覚えているはずです。
どうもはじめまして、てんてんです。
わたしの生まれは、島国日本のなかでも小さい小さい孤島です。
海はすぐそこです。
東の窓からはいつも波の音が聞こえます。
水平線からゆっくりとお日様がみえます。
汽笛がぼーっとなります。
風が雨戸を揺らします。
潮気で窓枠が錆びついています。
夜の海はごうごうと唸ります。
いつもいつも海を眺めながら過ごしました。
海辺は底知れない謎にあふれています。
はてしなく満ち引きを繰り返す潮の流れ。思いがけず高く打ちあげる波。ところどころ冷やりとしている水の底。浮いている人。沈んでいく人。打ち上げられていく海草。どんどんと沖へ流されていく浮き輪。石にへばりついた貝。ぬるぬるした浅瀬の藻。じりじりする肌。べたべたの髪。からからののど。
毎年かならず誰かが海に消えていきます。漁船とともに消えていくこともあります。
お盆を過ぎたら誰も泳ぎません。死んだ人や魚が足を引っ張るのだと言います。それは島の大人みんなが子供に言い聞かせます。
そうして誰もいなくなった海は空しく泣きます。
ごうごうと唸ります。
山もすぐそこに切り立っています。
裏庭からけもの道が山へ続いています。
空気がひんやりしてきます。
土はいつも湿っています。
蝉がすごい勢いで啼きます。
猿に出会うこともあります。
とても警戒しています。
少し高台からあたりを見下ろしてみます。
どこまでも広がっている海。かすんでいる水平線の向こう。
どんな世界があって、どんな人が住んでいるんだろう、そう思うだけでどきどきしてきます。
こうやっていつも海の向こうを眺めていました。期待と、そして大きな不安とともに。
港から出ている旅客船は一日に五便。ゆっくり1時間半かけて大きな街まで行ったり来たり。
雨でも嵐でも出航しますが、霧が深いとすぐに止まります。港でぼんやり船が出るのを待ちます。
12歳のときに島出を決心し、15歳でひとり、島を後にしました。
不安よりも好奇心のほうが先でした。
世界の大きさを知るには、まず海を越え、自分自身で歩かなければわかりません。テレビや本で知ったような気がしても、本当の感動や不安はわかりません。
船はすごい勢いで水面をすべり、わたしを遠くへ運んでいきました。いつもより長く波に揺られているようでした。島ははるか向こうにかすんで見えなくなりました。
そして今も、島は海のずっと向こうです。
決して帰ることのできない遠い遠い場所です。
島育ちのわたしはこれからも大地に根を張ることなく、つねに潮の流れを感じながら生きていくのだと思います。
遠くにみえる水平線を眺めながらゆらゆらと放浪していくつもりでいます。
わたしの生まれは、島国日本のなかでも小さい小さい孤島です。
海はすぐそこです。
東の窓からはいつも波の音が聞こえます。
水平線からゆっくりとお日様がみえます。
汽笛がぼーっとなります。
風が雨戸を揺らします。
潮気で窓枠が錆びついています。
夜の海はごうごうと唸ります。
いつもいつも海を眺めながら過ごしました。
海辺は底知れない謎にあふれています。
はてしなく満ち引きを繰り返す潮の流れ。思いがけず高く打ちあげる波。ところどころ冷やりとしている水の底。浮いている人。沈んでいく人。打ち上げられていく海草。どんどんと沖へ流されていく浮き輪。石にへばりついた貝。ぬるぬるした浅瀬の藻。じりじりする肌。べたべたの髪。からからののど。
毎年かならず誰かが海に消えていきます。漁船とともに消えていくこともあります。
お盆を過ぎたら誰も泳ぎません。死んだ人や魚が足を引っ張るのだと言います。それは島の大人みんなが子供に言い聞かせます。
そうして誰もいなくなった海は空しく泣きます。
ごうごうと唸ります。
山もすぐそこに切り立っています。
裏庭からけもの道が山へ続いています。
空気がひんやりしてきます。
土はいつも湿っています。
蝉がすごい勢いで啼きます。
猿に出会うこともあります。
とても警戒しています。
少し高台からあたりを見下ろしてみます。
どこまでも広がっている海。かすんでいる水平線の向こう。
どんな世界があって、どんな人が住んでいるんだろう、そう思うだけでどきどきしてきます。
こうやっていつも海の向こうを眺めていました。期待と、そして大きな不安とともに。
港から出ている旅客船は一日に五便。ゆっくり1時間半かけて大きな街まで行ったり来たり。
雨でも嵐でも出航しますが、霧が深いとすぐに止まります。港でぼんやり船が出るのを待ちます。
12歳のときに島出を決心し、15歳でひとり、島を後にしました。
不安よりも好奇心のほうが先でした。
世界の大きさを知るには、まず海を越え、自分自身で歩かなければわかりません。テレビや本で知ったような気がしても、本当の感動や不安はわかりません。
船はすごい勢いで水面をすべり、わたしを遠くへ運んでいきました。いつもより長く波に揺られているようでした。島ははるか向こうにかすんで見えなくなりました。
そして今も、島は海のずっと向こうです。
決して帰ることのできない遠い遠い場所です。
島育ちのわたしはこれからも大地に根を張ることなく、つねに潮の流れを感じながら生きていくのだと思います。
遠くにみえる水平線を眺めながらゆらゆらと放浪していくつもりでいます。
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